「すべてのクラッシュのシングルは、結局は"ホワイト・ライオット"に行き着く。アルバム・ヴァージョンじゃなくって、シングル"1977"のB面に入ってる方のね。俺はいつでも、それを買った日のことを思い出せる ー、そう、クラッシュが現れた日をね。」

この、いかにも思い入れたっぷりな語り始め−この台詞をあと何回、言わなければならいのだろう!−は、ジョー・ストラマーとも交流のあったアイリッシュ・パンクバンド、ザ・ポーグスのフロントマン、シェイン・マガウァンによるものだ。

「それは77年の3月。パーティはすっかり終わっちまって、俺たちは「サマー・オブ・ヘイト」へ一直線だった。"ホワイト・ライオット"と"1977"は、パラノイア、妄想的で混乱した感情をマジぶちまけてくれてた。クラッシュは、ステンシルでメッセージの刻まれた服で世間の壁に真っ向から立ち向かってて、やること全てが、新鮮に映ったんだ。」

ジョーよりも5才年下のシェーンにとって、クラッシュの存在は相当大きなものだったのだろう。彼もまた、クラッシュのギグを生で体験することで、自らもバンドの道に進もうと決意した人間の一人だ。ちなみにシェーンは、このはじめてのクラッシュ体験の際に、(恐らくは、酔った勢いで)キスを迫った女性に耳を噛み千切られるという、自業自得というにはショックが過ぎる体験をしている。ちなみにその女性とは、後にガールズ・パンクの原点と賞されるザ・スリッツの初代ギタリスト、ケイト・コラス。んー、ライオット・ガール!

そして、「ホワイト・ライオット」。退廃・デカダン。ピストルズ風に言うならば、「ノー・フューチャー」。現状への全否定。白人文化への、白人自らの嘲笑と、軽蔑。誰が言ったか、好きの反対は、無関心。嫌悪なんて、生温い。それが初期パンクの持った、何十年経っても、そして違う文化に生まれた人間にも伝わる「普通じゃない」感覚の一つなのだと思う。

「でもってこの曲は、哀れな白人達が、どんだけ自分達の権利や楽しみだけを守ろうとしてるかっていうことに対してのジョークでもあるんだ。 黒人達はどうやって共存していくかを分かってるってのにね。クラッシュもピストルズも、完璧に退廃的な存在で、退廃的な楽しみを生み出してた。パンクの背景にあるテーマは、決してヘイトじゃないんだよ。働く権利だとか、何かをすべきであるっていう概念への、徹底的なる軽蔑さ。それは無知ってことじゃない。単に「クソッタレ、構わねえさ。俺はただ、楽しみたいだけ」っつう。で、「ホワイト・ライオット」がそれを全て代弁してくれたのさ。」

■White Riot



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