21世紀の現在も、政治的なステートメントを出すことを恐れず、かつ第一線のロック・バンドとして活躍している存在といえば、誰もがU2の名前を挙げずにはいられないだろう。その当人、ギタリストのジ・エッジも、当然のように、クラッシュへの敬意を表している。

「"ハマースミス宮殿の白人"は1978年の6月16日に世に出た。彼らの"前線"、ノッティング・ヒル界隈のレゲエ・ミュージックの影響を受けた最初の曲だよね。そして、クラッシュというバンドの政治的な深さが明らかになった、初めの曲でもある。ハマースミス宮殿でのレゲエのギグに落胆した経験の後で書かれたこの曲は、うわべだけのホラ吹きドレッド・レゲエ野郎や、UKのパンク・ロッカー達が見逃している身近な危険、ネオ・ナチの盛り上がりへの注意を、嘲笑しつつ告発するんだ。」

この曲の主人公である、ハマースミス宮殿での黒人のギグにたった一人いた白人とは、勿論、ジョー・ストラマー自身のこと。ジャマイカから来た音楽、レゲエの持つ新鮮なリズムと、パンク・ロックに通じるレベル・ミュージックとしての力に惹かれて、ジョーは黒人だらけの会場へ一人足を運んだ。しかしそこで鳴らされていたのは、フォー・トップスのような、白人社会向けにアレンジされたポップスばかりで、ジョーの期待していた、反抗のサウンドには出会えなかった。

そこから、長いものには巻かれてしまう風潮への反発、ポップ・ビジネスの被害者になりつつある、2トーンやジャムのような新世代パンク・バンドへの批判と、いかにもクラッシュらしい、見えない権力への反発がこれでもかと込められている。エッジも言っているように、反体制であるはずのものが、体制にうまく利用され、本来の牙を失ったものになってしまうということは、この歌詞を例に挙げるまでもなくよくある。クラッシュ自身も、メジャーな流通に乗っかっている以上、そうした批判を受けてしまうポジションではある。しかし、彼らはミイラになることなく、ミイラ取りとしての自分を見失わず、あくまで自身の音楽と言葉を広く伝えるための手段として、レコード会社と付き合っている。理想を追求するための、より現実的な選択。僕の世代で、全く同じテーマを、別の言葉で表現したバンドがいる。そう、レディオヘッド "OK Computer"。

以下の言葉は、映画「ハイ・フィディリティ」の原作者であるニック・ホーンビーによるもの。彼もまた、この曲の持つ力に惚れ込んだ人間の一人だ。彼は歌詞だけではなく、曲の力、音楽としてのクラッシュの革新性への注目も忘れていない。

「ジョーの、フォートップスのステージの軽いパフォーマンスとへの嘆きから増幅された皮肉が込められた歌詞だけじゃなく、ミック・ジョーンズのポップ・センス、それこそが、今でも我々がこの曲を聴き続ける理由だね。これは、イングランド史上2本か3本の指に入る偉大なバンドの、本当に偉大なるシングルだよ。」

そう、レゲエへの落胆を歌ったこの曲こそが、パンク・ロックにレゲエの要素を取り入れた、最初のシングルなのだ。社会的な視点のみならず、音楽としても常に刺激的な存在でありつづける。そんな点も、先ほど名前に挙げた、レディオヘッドに通じるところがあるかもしれない。そう、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドは2006年に、伝統的なジャマイカ音楽のレーベル・トロージャンのカタログから、コンピレーション・アルバムを出している。

■ (White Man)in Hammersmith Palais



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